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マイトガイ「S」の自動車特選街: 2005年7月アーカイブ

2005年7月アーカイブ

●先に経営再建中のカネボウから次世代電池事業を買い取ったばかりの富士重工業だが、この程、瞬間的な電流出力を電気2重層キャパシタと同等レベルに高めつつ、体積当たりのエネルギー密度が従来比の2倍〜3倍となるハイブリッド車向けキャパシタ技術を発表した。

●同社はここ20年来の経済変動のなかで、バブル絶頂期の1989年に営業赤字を計上し、一方でバブル崩壊以降は黒字化。さらに2000年以降、過去最高の業績を維持するという一般の市場経済の常識では考え難い業績推移を今だに刻み続けている不思議な自動車メーカーである。

●裏を返すと同社にとって経済変動はまったく傷害ではなく、むしろ景気に頼らない熱狂的なファンの動向が生命線ということになる。だからこそ今後の成長は、そうした熱狂的なスバリスト以外のファンをどれだけ誘引できるかに懸かっている。

●そんな富士重工業は、お馴染みのロビンブランドの発電用原動機の他、旅客機体製作、自衛隊向けの支援戦闘機をも手掛ける複合企業で、そのルーツは、戦闘機「隼」を生んだ「中島飛行機」が原点だ。

●中島飛行機は敗戦後、平和産業に転身するべく「富士産業」に改称するも、1950年の財閥指定で結局12社に分割されており、企業復興の道程は他の自動車メーカーに比べ大きなハンディキャップを背負うこととなった。

●それでも小型モーターやミシン、トラクターなど造れるものなら何でも手掛けるというなりふり構わぬ企業活動で生き残りを図った末、1953年に旧中島グループ5社が合併を前提に富士重工業を設立。1955年に出資5社を吸収合併するかたちで現在の富士重工業が誕生している。

●そして1958年の政府の国民車構想を受け、同社が発表した「スバル360」は、月間1万台以上のセールスを記録。これを契機に自動車メーカーとしての基盤を固め、1965年にFF小型乗用車「スバル1000」を発売。1968年には業容拡大を目指し日産自動車と業務・資本提携。1972年には、初の4WD車「スバルレオーネ4WDバン」を発売した。

●以降、1980年代の終盤からは米国での現地生産工場の立ち上げ、新型レガシィの開発、エンジン工場の移転など相次いで大型投資を敢行。これらによる過大な資本投下が裏目に出て赤字を計上する結果となってしまう。

●しかし不幸中の幸いというべきだと思うが、日本経済が絶頂を極める環境下で設備投資の絞り込み、購買システムを全面改訂を行うなど、図らずも基礎体力の強化を行う結果となった。それにより年を追う毎に厳しくなる燃料規制や環境規制の本格施行を前に、欧米メーカーとコンタクトをつなぐ好機にも恵まれている。

●そして1999年、遂に米国GMと資本提携を締結。さらに同じGMグループの一員としてスズキとも資本・業務締結を果たしている。このGMとの関係はフォレスターをGMインドの販売網からシボレーブランドで発売。サーブ9-2xの共同開発に着手するなど、今日着々と強化されつつある好材料のひとつとなっている。

●さらに2003年には、新中期経営計画「FDR-1」フジ・ダイナミック・リボリューション1に添って、社内カンパニー制の導入と不採算事業からの撤退を断行。具体的には鉄道車両事業、バス車体事業の新車生産を終了し、翌2004年にはハウス事業を営業譲渡したことで、現在は航空機産業・産業機器・自動車生産・開発の三部門に経営資源を集中している。

●ただ潤沢な資本も巨大な販売網も持っている訳ではない同社だけに、持ち前の優れた技術や人材をどの方面に集中投入するかで、企業の浮沈そのものが決まってしまう可能性が大きい。
2003年にフルチエンジを果たしたレガシィが、初代からの累計で100万台を超えるなか、新たなハイブリッド技術を既存のファン獲得に使うのか、またはマニア層ではない一般ユーザーの獲得に振り向けるのかが今問われている。

●思えばスバルマークの原点は、六連星(むつらぼし)と呼ばれるプレアデス星団の名前がルーツで、マーク内の小さい星が分割された会社群と云われ、大きい星が統合後の富士重工業を示すと云われている。かつて企業の総合力が削がれた厳しい戦後をくぐり抜け、会社統合時にいつまでも輝き続ける星のようでありたいと願った星が、今後も輝き続けるかどうかはトップの経営判断に握られている。

●2005年もJ.D.パワーASIAが発表した「米国自動車サービス満足度調査」で、高級イメージで押しまくるLexusなどの外国勢を蹴散らし、Lincolnに次ぐ2位を固めた「Cadillac」。そんなキャディラックは、GMが自他共に認め、自動車の世界を代表する最高級ブランドのひとつである。

●ライバルと目されるブランドは欧州の老舗ブランドの他、同じ米国では双璧を成すフォードの「Lincoln」があるが、実はこのリンカーンは先のビュイックと似た生い立ちを持っている。それは重税に喘いでいたリンカーン社をヘンリー・フォードが1922年に買収。これによりフォードグループの一員になった経緯があるからだ。

●一方キャディラックは、1920年代に馬車事業として高い成功を収めた「ビリー・デュラント」と「J.ダラス・ドート」のコンビが次世代を狙って創設した、新興自動車メーカーのジェネラル・モータースが、1909年に同社の最高級車として据えた栄えあるブランド名である。

●さてそんなキャディラックというクルマは、そもそも1900年代初頭に栄華を極めた「オールズ・モーター・ワークス」に長年、エンジン制作者として参加していた「ヘンリー・リーランド」なる人物が創り出した自動車ブランドがルーツとなっている。

●このヘンリー・リーランドがキャディラックを売り出したのは1902年のこと。彼のクルマは先鋭的なイメージと華のあるスタイリングがウリで、初代モデルは1903年に造られた「キャディラック・モデルA」というクルマだ。同車は当時の自動車ファンに絶大な人気を博していた。

●しかしこのクルマ、何故か同時期のフォード車とは瓜ふたつだった。ただそれもそのハズで、元電気技師でもあり、気鋭の自動車技術者でもあったヘンリー・フォードは、自己のブランド車を造る一方で、ヘンリー・リーランドのブランド、キャディラックのお抱え設計者としても精力的に活動していたからである。

●つまり今では米国自動車ブランドの双璧を成すGM社のキャディラックの開発に、ライバルメーカーの創業者であるヘンリー・フォードが関わっていた訳で、アメリカのクルマ創世期はそれだけギョーカイが狭かったコトがよく判る。

●ちなみにキャディラックは1914年、他車に先駆けていち早くセルフスターターを採用。1916年にはキャディラックV8を駆る「アーウィン・キャノンボール・ベイカー」という人物が大陸横断を7日半で実現するなど、現在のプレステージ然としたキャラクターとは若干食い違いがある。

●これは当時のキャディラックが、今のようなオジサマ車御用達ブランドではなかったからで、今や米国車の定番ユニットとして知られるV8エンジンもキャデラックが1920年代に流行の先鞭をつけたもので、1950年代にテールフィンブームのきっかけを作ったのも同じくキャデラックだった。

●常に米国自動車業界に新しい流行を生み出す当時のキャディラックには、先駆者としての若さと輝きがあった。だからこそ株式買収で次々と他の競合を飲み込んでいったジェネラル・モータースも、キャディラック社だけは唯一440万ドルのキャッシュで買い取るという別格的な扱いをしている。それだけ同ブランドには米国を代表する伝統と栄冠があり、そしていつまでも色褪せない華のあるクルマとして扱われているのである。

●GMの「キャディラック」や「シボレー」は単なる車名ではなく、ブランド戦略下で独自の経営責任を負い、一方で総本社のGMは経営の策定と管理を担う。つまりそれぞれのブランドはディビジョンとして自主経営を求められる立場にある。そもそもGMはトヨタのような一枚岩ではなく多数のメーカーが統合することで帝国を築いている。それだけにブランド個性は強く、米国ではそのルーツに共感する熱烈なファンが存在している。

●そんな環境下で「ビュイック」は、GMグループ中最古のブランドとしてよく知られており、元来はスコットランド生まれの「ディビッド・ダンパー・ビュイック」が興したカーメーカーがルーツである。
このディビッド・ダンパー・ビュイックなる人物は、1980年代終盤から1900年初頭にかけて配管業を生業としていた実業家で、すでに自動車メーカーを興す前の段階でエナメル塗膜の技術開発で大金を手にしていた。

●しかし自動車好きのビュイックは蓄えた財産を元手に1902年、ミシガン州で「ビュイック・マニファクチャリング・カンパニー」を創設。翌1903年には、バルブをシリンダーヘッド内に納めるという当時としては、画期的なエンジンを搭載した新型車の生産を開始している。

●まさに米国自動車産業創生期といえるこの時代。ビュイックの活動をつぶさに見ていた人物がひとり存在していた。それがビュイックと同州人であり、GMの創始者でもあるビリー・デュラントその人である。

●ビュイックの先進性に惚れ込んだデュラントは、なんとかこの企業を手にしたいと考えるようになり、翌年の1904年、ビュイックに対して果敢な株式介入を開始したのである。そしてこれによってデュラントは、ビュイック・マニファクチャリング・カンパニーの経営権を完全掌握してしまう。

●これに対して純粋なエンジニアタイプであったビュイックは、デュラントの社内工作もあってか1908年、デュラントから10万ドルを受け取るかわりに自身が創設したビュイック社から離脱することとなってしまった。

●離脱した後のビュイックは、持ち前の独自技術を背景にキャブレター製造を手掛けたり、ディビッド・ダンパー・ビュイック・コーポレイションという新会社を組織したりと精力的に活動したものの、結局、ロードスターモデルを1台造っただけで廃業。さらに晩年になってからはデトロイト商業学校の教職に就くなど、文字通り波乱の人生を送った末に1929年に他界している。

●一方ビュイックの自動車造りの思想は、彼がビュイック社を去った後も受け継がれ、次々と生み出された新型車は現在のGM躍進の原動力になった。特にGM成長の初期には同社を代表する看板ブランドとして絶大な役割を果たし、いまでも次々と新技術が投入される先進性と、流麗なボディスタイリングを売り物にGMグループではキャデラックに次ぐ上級ブランドへと育っている。

●現在のブランドイメージは、リッチなラグジュアリークーペやセダンの代名詞となっており、保守的なカーユーザー層をターゲットに販売実績を積み上げている。ラインナップ自体はシリーズ90、パークアベニュー、スカイホーク、リビエラ、ロードマスターなど豊富。トヨタで言えば主流セグメントはプログレあたりをイメージさせるものとなっている。

●低迷し続けていた日産自動車復活の起爆剤となった「日産リバイバルプラン」、2002年4月から始まった「日産180」計画、そして2004年4月に発表された「日産バリューアッププラン」と現在、順調に業績改善を達成しつつある同社は、今後、ディーラー網再編や海外事業の展開策など、名門自動車メーカーとしての本格復活を証明できるかどうかという総決算の時期を迎えようとしている。

●そのなかで同社は目下、積極的に特許ビジネス確立の途を模索している。具体的には米国のコンサルタント会社と契約関係を結び、工業・技術分野における自社特許の販売やライセンス供与の事業化を本格推進していく意向という。ちなみに米国ではこうした特許ビジネスに伴う市場取引が活発に展開されており、宇宙開発に至るまで多彩な技術資産を持つ日産自動車だけにそこに新たな収益源確保を見い出したようだ。

●一方肝心の自動車事業体制は、現在過渡期にある国内2系列、およそ3100拠点の販売店舗網。そして九州・追浜・栃木など4県に点在する5つの自動車工場に加え、海外17カ国でも21の生産拠点を有している。自動車以外でも船舶やフォークリフトの生産・販売を手掛けているものの、実際には総売り上げの99.5%を自動車事業で稼ぎ出すという生粋のカーメーカーであることに変わりはない。

●そんな同社は、1914年から脱兎(ダット)号ことDAT CARを生産していた「快進社」をそのルーツに持ち、実に100年に迫る歴史を誇っている。また日産自動車という現社名の由来から辿ったとしても「日本産業」と「戸畑鋳物」の共同出資で、1933年に設立された「自動車製造」にまでそのルーツを遡ることが可能だ。

●また現在、本業に据える自動車の大量生産に関わる源流を探し当ててみると、その自動車製造が設立翌年の改称で日産自動車となった後に、出資元の戸畑鋳物自動車部が、大阪の「ダット自動車製造」から生産工場を買収。さらに1935年に新設した横浜工場の稼働を契機に、日本おいて自動車の大量生産体制を確立させている。

●その後1952年に英国・オースチンと技術提携。1958年には乗用車の対米輸出を開始。さらに1966年にはスカイラインなど稀代の名車を配していた「プリンス自工」を合併・吸収するなど、日産自動車というブランドは、常に国内産業の重要な場面で、飽くなき高度化を目指していく日本経済の重要な牽引役を演じてきた。

●しかしそんな高度成長期におけるトヨタ自動車との自動車販売競争の激化により、1991年度から赤字決算を連続して計上するようになる。1999年度は連結で6843億円・単独でも7900億円と、日本企業として過去最悪の赤字を出したことを契機に自主再建の道を断念。ルノーの出資を受け入れ、カルロス・ゴーン氏に日産自動車の経営全権を委ねることとなった。

●ゴーン氏は早速、就任早々日産自動車グループの14%にあたる2万100人の関連社員を削減した他、生産5工場閉鎖や購買費の圧縮を柱とした先の日産リバイバルプランを断行。自身を含む全役員の退陣を賭けて2000年度の黒字化を確約した。これが社内の中堅・若手社員に受け入れられ、早くも就任翌年度に連結3310億円。単独でも1874億円という黒字化を達成している。

●また日産180計画やバューアッププランなど事業刷新の象徴として、来る2010年までに日産自動車の世界本社と日本事業関連など企業の主要機能を、同社経営陣が永らくこだわり続けていた東銀座の地から、神奈川県横浜市の「みなとみらい21地区」に移転させることも決定している。

●海外戦略ではインフィニティの世界展開に加えて、中国・東風汽車公司との提携、広州での新工場操業、現地への乗用車開発センターの設置などの事業強化策を通じて、約1兆円の総売上・約1000億円の営業利益を目指している。加えて、日産モトール・イベリカ社への4億ユーロの投資を皮切りに欧州へも積極進出を果たしている。

●ただそもそも日産180計画は「新車販売台数100万台増」「連結営業利益率8%」「負債ゼロ」の3つの目標を掲げ、傘下の部品メーカーに15%のコストダウンを通達。日産バリューアッププランでは、2007年度末までに世界市場で年販420万台に加え、高い営業利益率を維持するため投下資本利益率20%以上の達成を目指しているもの。

●つまりそれはいずれも部分的な開発投資や経費を削減し、最も利益率の高い製品やサービスに事業資本の絞り込みを行っていくことを意味している。事実、研究開発部門における一時的な資金圧縮の影響下で、日産自動車の同領域における人材不足やポテンシャル低下は未だ解消されていない。

●つまり企業をよりスリムな事業体制にすることで、資金流動の激しい株式市場において株主に高い配当を還元したこと。あるいは極めて短期の間に株主利益を押し上げたという実績をメディアが評価。それが永らくデフレであえぎ続けていた財界の賞賛を浴びたということに過ぎない。

●残念ながら大規模な製品開発には大きな資本投下と永い時間が必要であり、そのなかで社員の夢が育まれ、モチベーションが長期に亘って高められこと。また消費者にとってより安価で有益な製品造りを行うということは、短期的な株価上昇とは別の長い目で見た場合、株主利益の確保との厳しい鬩ぎ合いが生まれてくる可能性がある。

●丁度、海の向こうの英国では、MGローバーの破綻で同国最後の自動車メーカーの灯が消えるという郷愁的なメディア報道が行われた。けれども現代、我々が社会生活上で様々な恩恵に浴している資本家中心の経済理論というのは、ある意味、グローバリゼーションや規制緩和を後押しする弱肉強食の欧米世界での理論でもある。そのなかで国内名門企業である日産自動車がこの先どこ向かうのか。その行方に日本の新しい未来社会の姿が投影されているように思えてならない。

●世界の政府代表や自動車業界人が東京に集い「第5回国際自動車産業・日本円卓会議」が行われ、この席上で、中国汽車工業協会首脳が「中国市場は今後40年以上成長が続く」という強気の発言をした。

●2005年に総人口13億人の壁を突破した中国。その想像を絶するスケールメリットを活かし、旧い国家体制を維持したまま自由経済拠点を次々と増殖させている。そんな中国が年間のエネルギー消費に使う石油は全体の約3割。しかもその7割は自動車燃料として使われている。

●おかげで中国の石油消費量は、自国の石油産出量を超えもはや自由主義国家間との交易なしに立ち行かない環境下にある。しかしかつて天安門事件によって経済発展が立ち後れたように、中国は特殊な政治体制ゆえのアキレス腱を抱えている。というのは基本的に中国では、政府各省が基幹産業を育成を掌握しており、突き詰めれば経済効率よりも政党の安定性が優先される可能性を秘めているからである。

●またこのほど遂に通貨の切り上げを行ったものの、今後、外貨とどのように連携を取っていくのかは未知数でもある。もしも仮に世界の通貨相場の見込みを誤ることともなれば、それが「バブル崩壊の引き金になる」と唱える経済学者は少なくない。

●そもそも中国が社会経済の改革・開放に踏み出したのは1978年末のこと。この頃の中国で乗用車といえば、政府高官の乗る「紅旗号」「上海号」が5000台程度闊歩しているに過ぎなかった。しかしその後、地域暫定とはいえ経済開放を果たした中国国民のバイタリティは、まさに止まることを知らないかのようだ。

●一時期、55社以上あった中国の自動車メーカー各社は、政府の方針により淘汰され、今ではあからさまなコピー商品の氾濫も収まりつつある。むしろモータリゼーションの黎明期を潜り抜け、ここ大陸にも健全な自動車生産・販売の土壌が醸成され始めているように見える。

●特に2001年のWTO加盟以降、自動車生産は規模に関しても急拡大を見せている。
より具体的には乗用車の生産台数で、2001年の72万台から2002年は110万台へと伸長。去る2003年には444万台(前年比36.6%増)の数字を達成してあっさりフランスを抜き世界第4位の自動車生産国に躍進している。

●業界の最新予測では、2005年の自動車保有台数は2000万台超となる見込みで、さらに2010年には3000万台超となるといわれている。その効果は部品調達の裾野が広い自動車産業ゆえに、今後は化学・繊維工業も含め中国の産業レベル向上に大きく貢献するだろう。

●そのなかで日本の自動車メーカーは、諸事情もあって中国への進出に大きく出遅れていた。しかし2005年を迎え、中国自動車産業と日本の自動車メーカーを巡る動きは大きく急旋回し始めている。そのひとつは、かつて機械産業の過疎地でしかなかった広東省・広州にトヨタ、ホンダ、日産が拠点を構え、さらに東風、裕隆など日本メーカーと深い関わりを持つ台湾企業も集結。今や広州は中国随一の自動車生産の集積地になりつつあることだ。

●ただし伸び続ける自動車需要のなかにおいて、深刻な問題がまったくない訳ではない。それはすでに中国で1600万台の自動車が大地を走り始めているからで、地球規模における環境保護を前に現在の中国には、ジャパニーズスタンダードとは違う発展途上国に合致した新しい低公害車の姿が求められていることである。

●そこで中国・国務院の科学技術部では、来る2008年の北京オリンピックや2010年の上海万博でのデモ走行を目標に、独自の燃料電池自動車の開発に着手している。こうした中国独自の構想を背景にした交通社会の構築は、急速な社会発展をスポイルすることなく地球環境に優しい自動車社会を実現しようとする試みとなる。それは中国のみならず、世界の発展途上国の行方をも占う壮大な環境実験になるかも知れない。

●経産省が、バイオエタノールを混合した次世代ガソリンを、来る2008年から国内のガソリンスタンドで販売させる意向だ。混入されるエタノールは、当面サトウキビ原料由来のブラジル産を輸入する見込み。具体的な混合比は7%程度を想定しているという。

●この民生利用のバイオエタノール混合ガソリン使用に関しては、日本の関連各省庁において様々な検討実績が過去に山積しており、環境省の検討委員会では、すでに国内自動車メーカー各社に向け、海外でのバイオエタノール混合燃料の利用実績を踏まえ、新車に対するE10ことエタノール10%混合ガソリンへの迅速な対応を求めていた。

●これは既存のガソリンエンジンでは、エタノール混合燃料の使用でNOxなど排ガス中の有害濃度が大きく増加される可能性があるからだ。しかし京都議定書の批准を迫られる中、生物原料から生まれるエタノール混合燃料の利用はエタノールを混入させた分が議定書の規制対象外となることから、温室効果ガス削減を何としても推進しなければならない日本政府にとっては切実な問題となっている。

●海の向こうでのバイオエタノール混合燃料の導入実関では、生物原料系燃料活用の優等生であるブラジルを筆頭に米国、欧州、中国において自動車燃料としての活用実績がある。

●ただ混入されるエタノール濃度が高いと、自動車の燃料系部品を腐食させることもある。このため日本では、欧州で実績を獲ているイソブテンとエタノールの合成化学物質「ETBE」ことエチル・ターシャリー・ブチル・エーテルを使う見込みだ。

●ユーザーの立場から見ると、こうした自動車燃料やエンジンに関わる微妙な話題は、現在使用中の愛車が一体「何時まで使用できるのか」を思い巡らせる事柄となるが、一部の旧車系エンスージアストを除き、現車両の立場を急激に揺るがす事態にはならないだろう。

●ただ自動車エンジンに関しては、1769年にフランス人のキョニヨが自動車という乗り物を発明して以来、様々なユニットが登場して消えるという変遷を繰り返してきた。特に18世紀から19世紀にかけて盛んに繰り広げられた自動車の発明競争において、当時の技術者たちが夢見た理想のエンジンは、決して化石燃料を使う内燃機関とは限らず、蒸気動力や電動モーターなど多彩なシステムが試されている。

●ここで歴史を紐解くと、例えば日本初の純国産自動車は蒸気が動力源であったし、20世紀に入ったばかりの米国内では、現在のようなバイオマス燃料の普及を考えた時期すらある。しかし1885年にベンツがガソリンエンジン搭載車のかたちを確立。1903年にフォードがガソリン自動車の大量生産体制を固めて以降、自動車といえばガソリンエンジンが主流となった。そして自動車は、それまで農耕中心・地域経済主導だった人々のくらしを、都市型経済主導へと大きく突き動かしていく原動力となったのである。

●ちなみにこの間にはボディ構成素材にも時代の変遷が起きている。当初、自動車の骨格は加工のし易さから天然木が使われ、20世紀初頭にエドワード・ゴーエン・ブッドが鉄板プレス機を発明して以降、鋼板ボディが主流になっている。さらに日本の神戸製鋼が量産化を実現した薄く軽量な「張高力鋼板」全盛の近代を経て、ジュラルミン・ポリマー・炭素素材。加えて環境対応の見地から、近頃ではケナフなどの植物系由来の素材が自動車ボディの構成部材として復活しつつある。

●また先の動力源では石油の枯渇や環境汚染から回避を求め、水素から動力を取り出す燃料電池の時代が始まっているのはすでにご承知の通りだ。ただ化石燃料ベースの内燃機関と燃料電池は開発環境の源泉が大きく異なる。もはや電子デバイスを持たないF1マシーンが成り立たなくなった今日。燃料電池を中心としたエレクトロニクス技術をどのメーカーがモノにするのか。未来に向けてそれは、自動車業界の主導権を占う重要な試金石でもある。

●中国での「森林人(フォレスター)」新車発表会場における、中国紙「新京報」記者の取材から始まったとみられる中国の同社合弁生産計画について、新京報に「上汽汽車が濃厚」と書かれた翌日になってこれを否定するという、今回いささかチクハグな報道対応をした富士重工業ことスバル。
そんな富士重工業は、米国のモータースポーツシーンである意味レースが本業とも思えるホンダと熾烈な首位争いを展開。がっぷり四つ相撲を繰り広げているレースカテゴリーが存在している。

●それは日本の大手二輪車メーカーが参入し、「利幅が大きく貴重な収入源」とヤマハが語るほど盛況な米国ATV(4輪バギー)市場でのおハナシである。このATV、見た目は二輪のオフロードマシンと非常に酷似しており、その違いはタイヤが4個ついていることくらい。その風貌から二輪車メーカーの参入はなるほど頷ける。しかしそのなかでスバルとは「ナゼ」と考える向きもあるかと思う。

●しかし富士重工業はそもそも自動車だけを造って食べている会社ではない。現在、富士重工業には大きく分けて4つのディビジョンがあり、まずそのひとつが「スバルオートモーティブビジネス」というお馴染みの自動車事業だ。2番目は中島飛行機から続く航空機造りのノウハウで、小型飛行機やヘリコプターを造ったり、ジャンボジェットの翼などを製造している「航空宇宙カンパニー」。3番目は最も新しい事業の「エコテクノロジーカンパニー」で、ここでは風力発電システムや塵芥収集車を造っている。

●そしてもうひとつ、今回最後の4番目に挙げるのが「Robin(ロビン)」ブランドの発電器や、米国「Polaris(ポラリス)社」向けに高性能ATVやスノーモービルのエンジンを開発・供給する「産業機器カンパニー」である。埼玉県北本市に拠点を構える、この産業機器カンパニーの富士重工業における部門売上げ高比率は約4%余り。見た目の数字は大きくないが汎用エンジンロビンのブランドシェアは世界4位と立派なもの。WRCではボディ側面に誇らしげにロビンマークが掲げられ、ピットワークでもロビンの発電器が活用されている。

●さて、今回話題に挙げたポラリス用のATV供給エンジンは、ホンダやヤマハなど世界のレースシーンで1、2位を争うライバルメーカーに立ち向かっているだけに、競合メーカーと並ぶ最新鋭のエンジン技術を採用したものになっている。ちなみに当地のATVレースは、日本のモトクロス人気はまったく足元にも及ばないほどの盛り上がりで、そのなかで2003年には、富士重工業が供給したパワーユニットを搭載するポラリスのフラッグシップ「Predator(プレデター)」が、堂々のSportsQuad of Yearに選ばれている。

●どうも日本にいると、ステレオタイプにしか報じないTVや新聞報道のせいで企業動向の一部しか判らないことが多い。このため業界下位メーカーの動向も掴みにくいのであるが、実のところこの富士重工業を筆頭に、それぞれ下位に甘んじているメーカーにも面白い活動領域や見えない特徴があるものなのである。

●さてそのATV市場に関しては、国内でのニュースにも若干動きが出ている。それは現地市場の6〜7割が日本車であるという現実(当然ポラリスは含まれていないはず)。さらにホンダは熊本製作所で造っていたATV「TRX450R」の生産を、北米法人HAM社から熊本製作所に移管するなど、伸び続ける需要に生産体制の見直しに入っているという。

●GfK Automotive社が調査した米国自動車オーナーの「次に購入したい新車」男女別ランキングで、男性が指名した首位のクルマは「Porsche 911」、女性の指名首位は「Pontiac G6 Convertible」と、男性がクルマに対して絶対性能の高さやデザインを好む一方で、女性は堅実に車両価格や実用性を重視する傾向が表れたという。どうやら世の東西を問わず、速く美しいリアルスポーツカーを求める男のわがままは尽きることはないようだ。

●そんな我らが日本の誇るリアルスポーツカーといえば、前々回で話題に挙げたNSX。または旧いところではトヨタ2000GTあたりかとも思うが、海の向こうの米国では1台のスポーツカーブランドが半世紀を超える歴史のなかで時を刻み今も走り続けている。

●いやそれだけではなく、去る6月にはルマン24時間でクラス優勝。さらに続く7月には、コネチカット州レイクビル・ライムロックパークで建国記念日に行われたALMSことAmerican Le Mans Series(アメリカン・ルマン・シリーズ)第4戦で、ワン・トゥ・フィニッシュを飾るほどの元気の良さを見せている

●そのクルマはシボレーコルベットである。なんと同車は最新モデルのC6になってから、世の中の流れとは逆行するように車体のコンパクト化を果しており、自慢のOHVのスモールブロックはいささかアメリカンフィーリングが薄らいだような気もするのだが、その分、世界に数多有るリアルスポーツカーに対抗しうる絶対性能を備えるに至っている。

●まさに米国人にとってシボレーは誰もが知るスポーツブランドであり、その名はヨーロッパ的な音の響きを持つことから人気が高い。またご当地の米国では、熱狂的なシボレー系エンスージアストをシボレーに冠されているマークから連想して「ボウタイピープル」と呼んでいる。

●それほど「シボレー」と「ボウタイ」は、永きに亘って切っても切れない密接な関係がある。逆にいうと20世紀初頭のカーブランドのなかで、ボウタイマークは押しも押されぬスポーツ心を表す象徴だったのである。しかし一方でこのボウタイマーク誕生の経緯については、絶対的な裏付けがないまま今日でも複数の説が唱えられている。

●シボレーの生みの親であるルイ・ジョセフ・シボレーはフランス人で、彼は母国フランスで樽からワインを抽出するためのポンプを発明したり、自身が設計した自転車でレースに参加するなどなかなかの活動家だった。そんな彼がさらなる活躍の場を求め高度成長真っ直中のアメリカにやってきて、米国の自動車レースの世界でナンバーワンレーサーの称号を獲るまでには、それほど時間は掛からなかったようだ。

●そんな彼に目を付けたのが、現在の巨大自動車メーカーGMの育ての親であり、後に意外な運命を辿ることとなるビリー・デュラントだった。デュラントはシボレーの名声を武器に新ブランド「シボレー」の創設したのである。そこで生まれたのがシンボルのボウタイマークだ。そのマークについて1961年に発行されたシボレー・ストーリー50周年号からなる説のひとつでは、デュラントが1908年、フランスで滞在したホテルの壁紙の一部を「素晴らしいネームプレートになる」と、その一片を持ち帰ったいうものがある。

●ふたつ目の説は1912年、アメリカ南部バージニアにある温泉ホテルのスイートルームで、ふと眼にした地方新聞の広告に載っていたボウタイマークを、デュラントが気に入り「これはシボレーに相応しい紋章になると思うよ」と、妻のW.C.デュラン夫人に語ったという説。さらに「ある夜、スープとフライドチキンなどが並ぶデュラント家の夕げのテーブル上で、デュラント自身がスケッチしたと思う」と、娘マージョリー・デュラントが1929年に「私の父」で記した説もある。

●1986年に刊行されたシボレー・ストーリー75周年記念誌では、こうしたボウタイマーク誕生の秘話について、ビリー・デュラント自身がパリのホテルの話と妻の新聞説の双方を認めたとされている。これを執筆したシボレー・メディアプロダクションによると「マークの出生がどんな形であれ、ボウタイは今日のシボレーのトレードマークであることに変わりない」と述べたという。

●ちなみに1900年当時の南部地方紙には「サザン・コンプレスド石炭会社」が掲載したボウタイ広告が現実に存在していて、そこにはCから始まる「コーレッツ」という9つの文字列のなかで中央のEを大きく強調、何げにフランス風に読ませる工夫など、ある意味シボレーのボウタイマークと良く似ている。

●このコーレッツというのは、小さいとか小型であるという意味の造語だそうで、新聞広告には円の中に「たくさんの熱を作り出す小さな石炭」というスローガンが描かれている。サザン・コンプレスド石炭会社のマークとの関連性という意味では、デュラントが創生期に造った「リトル・モーター自動車会社」のマークが丸いネームプレートの紋章で、なかに「little」が書き込まれ、内側に「赤く熱する」背景が描かれている。

●ちなみにサザンコンプレスド石炭会社がボウタイロゴをこのようにデザインした意図は、一般大衆がこの造語を発音し易くするためだったといわれている。こうしたことを考えると、デュラントはこの発想をヒントに「シェヴ・ロ・レイ」と言う読み方を発明したのかもしれない。

●双方の紋章は背景が暗く、白の境界線と白字を使用しており、違いはコーレットの方が流れる様な傾体文字で描かれているのに対して、シボレーの方はローマ調文字で中央の3文字分が若干角張っている。果たしてデュラントは将来の参考として、サザンコンプレスド石炭会社のマークを新聞から切り取って保存していたのだろうか。今となってはそれを完全に解明する術はないようだ。

●その後、シボレーのボウタイマークはブルーにシルバー枠を基調とした立体タイプや、スポーツイメージを強く打ち出した赤いシルエット。ライトトラック用に採用するゴールド基調など多種多様になっている。しかしどれも高いデザイン性と強い訴求力で、シボレーのイメージを高めていることは確かなようだ。

●独・Hella(ヘラー)が、後付け用コーナリングライト「DynaView Evo2」を開発した。このDynaView Evo2は、直径90mmのハロゲンライトを照射機能に、エンジンルームへセンサー役を担うECUユニットを設置・連動させ進行方向を動的に照射。自動車の安全性を高める機能パーツだ。

●またDynaView Evo2は車速連動タイプなので、カーブ区間が終わると徐々に減光する機能も備える。似たようなコーナリングライトは、新車装着でなら日本車にも存在しているが、後付けユニットとしては世界初。Hellaではこうした独自の開発商品を足掛かりにするなどで、日本マーケット進出の方向性を模索し始めているようだ。

●そんなHellaについては一部の欧州車マニアを除くと、日本ではあまり知られていないようなのだが、自動車生誕地であるドイツにおいて自動車そのものがまだ異端だった1889年、同国リップスタッド市で産声をあげたヘッドライトブランドとして世界ではよく知られている。以来1世紀以上の間、人類の未来を切り拓く新たな乗り物の行方を常に照らし続けてきた

●さらに近年は、自動車用電子部品や同制御用ソフトウエアで高い開発能力を発揮。社員総数2万人超・4000億円の事業売り上げを背景に、欧米だけでなく遠く南半球や中米でも自動車電子部品のトップブランドとして君臨。去る2002年には日本のスタンレーとの協業を発表した自動車エレクトロニクス企業だ。

●昨今は日本の自動車業界もハイブリッドや自動運転技術で注目されているが、実のところ「走る」「曲がる」「止まる」という自動車の基礎技術において、Hellaを筆頭とする欧州陣営は未だ日本メーカーにはない独自資産を持っている。

●というのは、日本が軍事需要や政治的な目的のためではなく、純粋に自動車産業に精力を注ぎ始めたのは国民車構想を打ち出した1955年以降から。対して欧米の2世紀を超える試行錯誤の蓄積は、日本人に先駆け努力をしてきただけに歴史の重みがある。このため日本人技術者が欧州部品メーカーのR&Dへ訪問するなどは今も活発に行われているほどだ。

●さてそんなHellaの日本市場への取り組みは、同社グループ内でアジアエリアを担うヘラー・アジア・パシフィックが1995年、東京港区に日本駐在事務所を開設してから大きく加速されている。具体的には全世界で生産される日本車の組み込み部品事業や、日本国内仕様車の開発に関わるなど、自動車メーカー各社の技術研究所とのパイプは日増しに太く強固になりつつある。

●特に近年は、ユビキタス環境を支える電磁アクチュエータやモジュールユニットの開発に熱心で、一般のカーオーナーには見えない黒子的な立場で鋭意活動中だ。ちなみにHella日本駐在事務局では、スタッフに占める日本人の占有比率が高く、他の海外資本とはひと味違う戦略をとっていることも大きな特徴のひとつだ。

●20世紀終盤に日本国内で巻き起こった規制撤廃の流れは、今日を迎えこうした欧州企業の直接投資を誘引している。そしてこれを受けた多く欧州企業では、自社ブランドの訴求力や浸透力の向上を目的に、日本市場に並々ならぬ意欲を持っているのである。日本企業はそうしたなかで国内メーカーとの激しい価格&技術競争に勝ち残るだけでなく、続々参入を果たしてくる欧州企業との対決にも挑まなければならないようだ。

●ホンダが本年限りでNSXの生産打ち切りを決定する一方で、フォードとのコラボで自動車メーカーとしての体力を取り戻したマツダは、来る8月25日から新型ロードスターを発売する。実際にはすでにWebサイト上で予約受付中とのことで、その反響は上々という。

●またNSXに関しては、ホンダが自ら既存のNSXオーナーにリサーチを取るなど、次期モデルの開発を迷い続けていた節があるが、こちらも一旦生産中止となるものの次世代スポーツカーは鋭意開発を続けていくとしている。

●そうした超エキゾチックスポーツカーのNSXとは、比較対象にはならない手軽さがウリ。それがライトウエイトスポーツのロードスターだ。まさにそのシンプルコンセプトで世界の自動車シーンに革命を巻き起こしたクルマでもある。

●そのストイックなまでの割り切りが立派で眩しかったマツダ製の2座席スポーツは、この3度目のフルモデルチャンジで、どうも少々立派になりすぎてしまったように思う。昨今は時代の流れなのか、来る秋に発売されるシビックもそうなのだが、どのクルマも妙に大型化していく傾向が目立つ。まぁそれもコスト圧縮という至上命令のなか構成コンポーネンツの流用が欠かせない御時世ゆえ、やはり時代の流れということなのだろう。

●さてそうしたスポーツカーばかりではなく、高級車やリッターカーなど車種を問わずに、仮にとある対象メーカーのラインナップ上には存在しないようなクルマを1車種だけ新規開発すると一体幾ら掛かるだろう。正直いって今やそんなゼータクは望むべくもないご時世ではあるが、その場合の予算はおよそ1000億円は必要ではないかといわれている。

●ちなみにこの1000億円のうち、昨今の車両開発で最も資金を浪費するのはボディ骨格の開発だ。この部分ををまったく新しく造るということであれば、簡単な仕様変更でもすぐさま100億円単位で予算が吹き飛んでいくことを覚悟しなければならない。

●さらに新車をそれらしく仕立てていくためには、クルマの心臓部であるエンジン開発(最近はマストな要件ではなくなりつつある)や、サスペンション設計、内装部材の調達など、諸々で3万点以上におよぶ構成パーツが必要だ。つまりたとえ1000億円の資金を調達できたとしてもその資金繰りは決して安泰ではないのだ。それゆえ自動車メーカー各社では、新車開発の費用の抑え込みにありとあらゆる手を尽くすこととなる。

●そんな中でも近頃、最も使い回しの対象になり易いのはエンジンやサスペンションなどの構成パーツである。実のところちよっと前なら、スポーツカーや高級車に搭載するエンジンユニットは、そのクルマの大きなセールスポイントだったはず。しかし今や例えプレミアムカーであったとしても、専用エンジンを新規開発するケースがあまり見られなくなっている。逆にエンジンユニットは基本構造をできる限り維持して多くの車両に使い回す。さらに同一のエンジンブロックをベースに、永らく改良を重ねながら使い続けることすらごく普通のことである。

●そういえば前に、ホシノインパルの星野一義さんに伝統のL型エンジンのことを聞いたことがあるが、その回答はけんもほろろ「そんなもん最新ユニットがイイに決まってる」と一蹴されてしまったことがある。より高性能なものを求めて時代の最先端を走るエンジニアやレーザーにとって、旧エンジンを改良して使い続けるというのは相当辛いことらしい。世の中には「古い革袋に新しい酒」などという言葉もあるようだが、確かに予算さえ許すなら、新車開発とて新しいエンジンユニットを搭載するの方が愉しいに決まっている。

●さらにコスト削減策を突き詰めていくとその究極策はプラットフォームこと車台の共有化に行き着く。実際、車台の共有化は自動車メーカー各社で徹底的に検討・実行されている領域である。このため相当幅広い車種ラインナップを誇るビッグメーカーでも、車台は数種類だけというケースも少なくない。こうして浮いた費用でどれだけ多品種少量生産体制を活かしていくのか。

●それこそ生き馬の目を抜く現代社会で、自動車メーカーが利益を確保していくための高等テクニックだ。もはや車台は、開発当初から幅広く使い回し先を考え、設計されるのが普通になった。場合によっては自社グループの枠を超え、他の競合メーカーと共有される。そんなケースもでてきている。

●それでも新車開発が恐ろしく賭博性が高い事実は拭いがたい。想えば筆者が子供の頃には、街の駄菓子屋に「箱を破いてみないと中味が判らない」類の菓子があったが、自動車開発は極端なハナシそんな傾向が強い。

●そんななかで生産ライン上、屋根の低いクルマしか生産できなかった当時のホンダが、苦肉の策でリリースした初代オデッセイが突如大ブレイクしたりする。そういう意味で自動車メーカーの方々というのは、総じて山師的な部分があるかも知れない。それが巨大資本を持つ企業の優劣を決する訳で、そういう見方をすると新車登場の背景をウオッチするのはなかなか愉しいことなのである。

●三菱自動車の本社移転(前本社所在地への出戻り)を受け、FUSOこと三菱ふそうトラック・バス株式会社の新社長(6月27日付けで就任)ハラルド・ブルストラー氏は、開発・生産拠点のある川崎製作所の近くに本社を移転させたい意向という。

●2001年に、トラック・バス事業の戦略提携パートナーとしての役割をABボルボ社から引き継いだダイムラー・クライスラーは、様々な騒動にもまれながらも、遂にFUSOを手中に収めた。しかし2004年6月、前会長を含む役員や幹部経験者の逮捕者を出したFUSOに「果たしてそれだけの魅力があるのか」と、いぶかる向きは多いと思う。

●ただあれだけの不祥事を出し、さらに再リコール車のボルトが脱落・折損して走行不能になるトラブルを起こすなかでも、FUSOは依然、国内商用車市場で25%のシェアを確保。2004年3月の連結決算では、有利子負債773億円削減、国内車両販売49%増、同海外7%増を達成している。これはかつての親会社三菱自動車よりも企業回復が早いことを意味しており、今後どれだけドライになれるかが未知数の三菱自動車よりも、現時点でドライな経営ができるFUSOの方が有利だ。

●ちなみにここで、三菱自動車とダイムラークライスラーのFUSOへの出資比率を紐解くと、2003年時点ではダイムラークライスラー43%、三菱自動車工業42%、三菱グループ15%。2004年3月に三菱自動車工業が半分の保有株をダイムラークライスラーに売却。2005年にリコール問題から生じた財務賠償案として三菱自動車工業がダイムラークライスラーへ保有株式残20%を譲渡。これにより出資比率はダイムラークライスラー社85%、三菱グループ15%となっている。

●生産・開発拠点も豊富で、栃木県さくら市にはトラック・バス用として世界最大級の高速周回路を備えた喜連川研究所が、川崎市中原区にはエンジン生産と開発を担う川崎製作所/技術センター。神奈川県愛甲郡愛川町にはトランスミッション用歯車の製造を担う中津工場。名古屋市港区本星崎町には小型バスローザの生産拠点の大江バス工場。富山県婦負郡婦中町には大・中型のバスを主体に生産する三菱ふそうバス製造。埼玉県北本市には鋳造・鍛造・アルミダイカスト製品を手掛ける三菱ふそうテクノメタルがある。

●また三菱ふそうは未来に向けて、自動車メーカーとして最も有利な源泉を持っている。それは1932(昭和7)年に旧三菱造船と神戸造船所とで完成させ、愛称募集から生まれたB46型ガソリンバス扶桑(ふそう)に始まる「FUSOブランド」への思い入れが強く熱狂的ともいえるファンの存在である。度重なる不祥事のなかでマスコミが叩くFUSOを支え続けたのは、実のところFUSOの重役や技術陣ではなく、FUSO車オーナーである地方の運輸事業者の力が大きかった。

●それでもバスの導入では過去FUSOオンリーだった拠点が、競合4メーカー入札に流れているのは間違いない。このためFUSOは世界最大の商用車部門を擁するダイムラー・クライスラーとの国際協業を糧に若手社員を配して事業の国際化に走っている。グループ戦略上、特にアジアの開拓に注力することになる同社だが、幸いかつての三菱グループを背景に国際協業にはアドバンテージもある。ハイビスカス(扶桑花)の名の語源で知られるFUSOは、かつての親と離れたことで、将来意外な大輪を咲かせる可能性が見えてきている。

●日産ディーゼル工業とコマツが、商用車向けテレマティクス事業での提携を発表した。これはコマツが開発した「コムトラックス」という建設機械用テレマティクスを基礎に、商用車向けのシステム開発を推進していくというもの。日産ディーゼル工業は、これを2006年度中に商品化し、国内販売していく日産ディーゼル工業のトラック全車種で標準採用する見込み。初年度の販売計画は1万台という。

●このテレマティクスというのは「telecommunication(通信)」と「infomatics(情報科学)」を組み合わせた造語だ。自動車向けの次世代情報提供サービスとしてはカーテレマティクスとして世の中では通っており、一般には「クルマ版Iモード」というと分かり易いかもしれない。

●ただし携帯電話のコンテンツサービスは、無限に広がるインターネットとは隔離された世界だ。対してカーテレマティクスの場合は、インターネットを通してメールやオンラインゲームを愉しむだけでなく、天気予報、映画観賞、グルメ情報、宿泊情報など広くクルマを取り巻く周辺環境を大きく解放していこうとする目的がある。目下カーナビに関わるコンテンツ企業は、この新サービスに関わるインターフェイスを鋭意積極開発しているし、自動車メーカー各社ではテレマティクスを顧客囲い込みの切り札に使うべく着々と準備を進めている。

●それはTAS(テレマティクス・アプリケーション・サーバー)で、顧客のクルマをモニタリングしてトラブル手配を担うというものだ。ちなみにトヨタがテレマティクス展開を行う「G-BOOK」対応の情報端末は、パソコンとの間でもデータを受渡しできるほか、コンビニのマルチメディア端末との間でもデータのやり取りも可能にしていく。

●これは将来、無線通信網を使うことで故障時の自動通報や消耗品部品の交換を促すなど、新ビジネスチャンスの原資となる。先のG-BOOKや日産のカーウイングスは、こうしたサービスを展開するためのインフラ網という訳だ。

●これを逆に捉えるとテレマティクス展開というのは、既存のカーディーラーを介したビジネスモデルのなかで、消費者が見えなくなってしまった自動車メーカーのあせりだと捉えることもできる。
かつて自動車は「持つこと」そのものに夢馳せることのできる商材だったはずなのだが、もはや自動車に対するカーユーザーの認識や会社を取り巻く環境は大きく変わってしまった。自動車もいずれはPCなどの耐久消費財と同じく、それを使って何を生み出すか、どんなビジネスチャンスを生むのかを模索するマーケティング商材のひとつとなってしまうのだろう。

●近年、カーディーラー各社では車両販売の新しいかたちとして、個人リースを積極的に推進しているが、そのうちカーユーザーの自動車に対する捉え方から「所有する」という概念が消失してしまうかも知れない。そうなれば自動車メーカー自らが中古車流通に注力している現在の努力も、リース期間終了地の中古車マーケット確保という面で大きく実を結ぶことになる。また誰もが新車をリースで導入するということになれば、今後、車両の価格高騰はさらに加速される可能性もある。

●一方、商用車向けのテレマティクス網は、車両を所有している事業者に大きなビジネスチャンスをもたらす可能性がある。それは今のところCD-ROMやDVDディスクから地図情報を読み出すだけのカーナビなどの車載端末が双方向通信の機能を持つことになるからだ。

●そしてそれは2000年から2015年頃までを4フェーズに分けて進められてきた政府のITS計画と融合することを意味する。なかでもITS計画の第3フェーズは、車載カメラやセンサーから情報を収集。出会い頭の衝突防止、カーブの速度超過、車線逸脱を戻すなど夢の自動運転を実現するためのインフラ整備を担っているからだ。

●この仕組みを支える道路はスマートウェイと呼ばれ、路面に自動車との通信を行なう通信機器が光ファイバー通信網を介して組み込まれる見込みだ。日本ではすでに1996年、開通前の上信越自動車道走行実験が成功している。

●当然、対象となる車両もこのシステムにあわせて、多数のセンサーを搭載することになるのだが、そうした輸送車両はいわば全国各地を移動する「情報収集機」でもある。このことから輸送車両が日本全土の渋滞や積雪・冠水、路面補修の必要性などを集約。ネットワークを介して情報を発信するビジネスが生まれるのではないかと考えている。

●日本と同じく米国でもガソリン価格が高騰している。目下、米国におけるガソリンの小売価格は、レギュラータイプで1ガロン平均2ドル31セントと、この7月に入ってから10セント近く高騰した。この高値は米国でも過去最高額である。

●そんな中、電力使用を筆頭にエネルギー消費には、比較的大らかだった同国民もさすがにこれを深刻に受け止めたようだ。特に年間所得300万円前後の一般庶民層は、財布からの支出を大幅に抑制しつつあるという。

●そんな訳だから、トヨタプリウスの駆動用バッテリーを大型にし、モーターによる走行モードを時速55kmにまで引き上げた「Prius+(プリウス・プラス)」を公開した米国の非営利団体「CalCars」の試みは、タイムリーな話題として現地メディアでも積極的に取り上げられた。

●しかし思えば大昔のことだが、かつて低公害車の投入で米国の話題をさらったクルマはホンダのシピックだった。きっとこのことを覚えている団塊の世代は多いことと思う。遙か1972年にCVCCエンジンを発表し、低公害車テクノロジーの先駆となったはずのホンダは、この21世紀を迎えてからはトヨタの後塵を浴び続け、今や米国で低公害車といえばプリウスの寡占状態にある。

●もちろんホンダもその間眠っていた訳でない。1999年7月の広報資料では、現行シビック搭載のIntelligent Motor Assistこと「IMA」と同一線上にあるパラレルハイブリッドの技術を紹介している。

●エンジンとモーターの回転数を自在に独立制御するヨタの「THS II」に対し、モーターをエンジンに直結させたシンプルな構造を貫くその姿勢は、エンジンを主役に据えたホンダスピリットを良く表現しているようにも見える。

●大西洋を超えた英国で、このホンダの試みは好評を得ている。2003年にはHonda Civic IMAが、EcoFleet、Fleet Week、Fleet Managementの読者投票で「EcoFleet Car of the Year」を受賞。そして7月5日に発表された第3ステージのIMAは再び伝統のシビックに搭載され、この日本の地でも今秋にはお目見えする予定だ。

●そんな第3世代ユニットでは、走行状況別に低・高速回転+エンジン抵抗を3分の1にするエンジン休止モードをバルブ制御で駆使する格好になる見込み。モーターユニットの減速エネルギー回生量は従来比10%UP、ユニットそのものも1.5倍となる。気になる動力特性はエンジン出力のナチュラル感が命だ。

●個々の動力ユニットの役割は「発進加速が低回転エンジン+モーター」「急加速時は高回転エンジン走行+モーター」「高速クルーズ時はエンジンによる低回転走行」「減速時にはエンジン全気筒休止+モーター回生」となる。とは言ってもプリウスのようにエンジンは完全停止しない。モーターとエンジンが直結されているから、全気筒休止時にはモーターがエンジンを空転させる。ドライバーがエンジンブレーキと感じる減速感覚はエネルギー回生の抵抗感という訳だ。

●これまで化石燃料の台頭と共に発展してきたクルマの動力源だが、今後はその役割をどのような形でモーターに譲っていくのか。またその新しい動力はどのようにしてエンジンの出力特性を受け継いでいくのか。レクサスでエンジンの存在を消し去ることには成功したトヨタだが、むしろヒトに訴求していく運転感覚では下位メーカーに先んじられている。

●今やあのF-1ですらエネルギー回生を目的とするブレーキシステムの導入に関心を持つとされる時代だが、そんなエレクトロニクスを背景とした舞台において、新しい運転感覚の模索と動力フィーリングを求めていくイニシアチブ競争が、世界の自動車メーカー間で激しく繰り広げられていくことになりそうだ。

●軍事車両を民生用仕立てにしたことで生まれたH1ことHUMMERだが、以降、次世代モデルとなったH2は、時の「LUXURY・ラグジー」という新たな自動車ドレスアップの流行に伴い、米国や日本で爆発的な人気を獲得した。その同シリーズが全長4720mm×全幅1970mm×全高1850mmとさらに小型化され、新型H3として近く日本の街を闊歩する。

●ここ数年、ヒップポップシ−ンのブレークとともに日本国内に初上陸を果したLA LUXURY CARことLUXURYは、そもそも米国のプロバスケットボールプレーヤーやブラックミュージックのアーティストたちが、東海岸のアングロサクソン系セレブとは対極を成す新しい自己主張の形として編み出したものだ。
 
●日本でもこの約束事はシッカリ守られているようで、こういう愉しみ方を満喫するユーザーたちは、ベース車両にエスカレードなどの米国製の大型SUVをチョイス。24インチを超える大径ホイールを履き、一方で室内は複数のマルチモニターに加え大型のパワーアンプを搭載するなど、独自の作法を硬く守っている。

●しかし昨今こうしたブームも大きな曲り角を迎えた。事実、コアユーザーに向けた大径ホイールの売り上げは、ここのところ右上がりの上昇推移がある程度ゆるやかになっている。正直一般ユーザーにとって現在のアピアランスではマイカーにする気は起きないのだろう。そんな中で登場したH3は、そのボディサイズと価格が日本製大型SUVと同格(449万4000円・タイプS・5MT)というレベルに落ち着いている。

●こうした流れから考えてLUXURYというブームが、早くも終焉を迎えていると考えるのはあまりに早計だろう。確かにコアユーザー向けの戦略商品はスタンダードなコミュニティを一巡してしまったのかも知れないが、チョイスされるクルマの選択肢は広がるなど、比較的濃く狭い社会的ブームの後にはたいてい大きなマーケットにおけるブレイクの連鎖が始まる。

●そのきっかけが今回のH3であり、トヨタがいよいよ始動させるレクサスブランドもこうした次世代LUXURYの起爆剤になる可能性が高い。それは米国製大形SUVをベースに愉しむ現在のコア層とは違うものになるかも知れないが、そもそも市場全体の大きく動かすブームは最初のコアな流行とはたいてい大きく異なるものだ。

●実際、日本国内でこうしたブームの火付け役となった千葉のブルーワークスでは、ここ2年位前からユーロ系ホイールを使用した新しいラグジーの可能性を模索している。目下のところそんな日本版LUXURYのブレークは、まだやってきてはいないのだが、この夏以降新しい可能性が華開く可能性が高いのではないかと思っている。

●世界に先駆け開発・発売された日本の低公害トラックが受注好調という。その車両は、日産ディーゼル工業が昨年リリースした新長期排ガス規制対応の大型トラック「Quon(クオン)」で、同車の受注数が当初の販売計画を大幅に上回るペースで推移している。

●通常、よほどのマニアか、株式投資家でもない限り、大型トラック市場には関心が薄いだろうが、このQuonという車両は、「尿素SCR」というこれまでにないまったく新しい排ガス処理技術を世界に先駆け採用している。ついでに言うとこれまで大型トラック系の新技術はボルボや、スカニアマンダフイベコフォーデンなどの欧州系企業から発表されるケースが多かった。

●そんななか、三菱化学・日本化成との共同で、国内業界下位にあたる日産ディーゼル工業が尿素水の供給インフラ(個々のガソリンスタンドに尿素水供給のための貯蔵・供給機器が必要)を開発したことから、実のところ業界では尿素SCRそのものの普及を懸念する声が大きかった。

●そうした声を尻目に、全国のトラック系給油施設に尿素水供給のインフラ網を整備し、三菱ふそうへの排ガス処理技術提携を実現するなど劇的に企業業績を向上させた同社に、業界は驚きを隠せないでいる。先に京都〜名古屋で行われたエコカーイベント「ビバンダム・フォーラム&ラリー2005」でも、唯一Quonのみが先進の低公害大型トラックとして参加している。

●現在、トラック輸送は物流業のなかでも新規参入企業が多い市場で、消費者ニーズの貪欲な要求に応えるため、輸送コストのさらなる圧縮が求められている。さらに原油高騰という非常事態のなか過酷な生き残り競争の真っ直中にある。そんな環境下で、数千万円単位の事業用車両が高い受注実績を達成していることに関しては、国内の輸送企業の良心もなかなかのモノなのではないかと思ったりしている。

●詰まるところ、日本の物流を左右するのはエンドユーザーである消費者の意志次第だ。より早く、安く、品物が届けられるということが大原則ではあるが、物流企業が環境負荷低減のためどのような活動を実際に行っているのか。そうしたファクターもサービス選択の一要素としてシビアに捉えてもらいたいと思う。

●米国ホンダが、自社のWebサイト上で、燃料電池車 FCXの一般市民向け個人リースを開始したと発表している。

●燃料電池車を世界初の自家用車として自宅に迎えた何ともうらやましい方は、カリフォルニア州在住の一般家庭なんだそうだが、実のところもっとうらやましいのはその契約料金。なんと月あたり500ドルと超破格なのだ。ちなみに米国ホンダでは、2002年12月からロサンゼルス市へ燃料電池車のリースを行っている。

●一方先般ミシュランが開催し、筆者もおっとり刀で参加した「ビバンダム・フォーラム&ラリー」で、かつて京都議定書が決議された京都国際会館から、長久手の愛・地球博会場までのラリーコースで沢山の燃料電池車が参加したほど、燃料電池車先進国なハズの日本。しかし現状ではトヨタがこの7月から政府機関向けにようやく燃料電池車のリースを開始するという状態。しかもその料金は月105万円と米国の個人リースとは比較にならないほど高い。

●そうした燃料電池車といえば懸案のCO2削減がある。日本ではいよいよ達成が怪しくなってきた京都議定書の割り当て数値目標のクリアを目指し、政府や各省庁、東京都など自治体。企業活動でもようやくエンジンが掛かり始めたところ。しかし欧州でCO2削減の立役者となりつつあるディーゼルエンジンへの強いアレルギーを取り除くことなど、今後の国民意識の変化が日本ではCO2削減の鍵を握るだろう。

●ちなみに昨今は「クールビズ」という言葉を筆頭に、環境庁が黒子になって打ち出した「チーム・マイナス6%」が爆発的な成功をおさめつつある。日本人は割とブームに乗り易い国民性なだけに、こうしたプロモーション活動が果たす役割は大きいが一連の環境活動が、自動車を取り巻く旧い認識や価値観を大きく変えてくれることを期待している。

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