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マイトガイ「S」の自動車特選街: 2010年1月アーカイブ

2010年1月アーカイブ

〜デリーオートエキスポ〜

●2010年1月1日付で、VW業務窓口を浜松本社ならびにドイツに設置したスズキは、単一国に於ける自動車生産数100万台を狙いインド投資を繰り広げてきた。 
結果、既にインド国内の販売実績は72万台(輸出を含めた販売台数では前年比3.6%増の79万2,167台)。乗用車市場では5割のシェアを誇るまでになっている。 

●そのインドで昨日から自動車ショーの祭典「デリーオートエキスポ」が開催されている。 
実は、同国の空の玄関口であるインディラ・ガンジー国際空港から、デリーオートエキスポが行われているニューデリー市に向かう幹線道途中には、インド国内シェアトップを誇るマルチ・スズキに相応しく、かつ真新しい本社ビルが見える。

〜トップメーカーとしてのスズキ〜 

●世界の自動車メーカーの首脳たちは、その佇まいをデリーオートエキスポに向かう車窓から眺めながら、「1981年にマルチ・ウドヨグとして発足、1983年に同国ハリヤナ州グルガオン工場で自動車生産を開始。
以来、着実な成長でインド国内で強固な信頼を獲得するに至ったスズキの躍進」を思い知り、市場浸透率の深さにさらなる想いを馳せるに違いない。 

●さて、そんな本社ビル建設だけなく、スズキにとって2009年は、インドを代表し、かつ牽引する押しも押されぬトップメーカーとしての存在感を世界に与えた年であった。

〜もはや中小企業とは言わせない〜 

●昨夏は同国の首都、ニューデリー北西に位置する「ハリヤナ州ロータク」の産業モデル都市に、280万平方メートルに及ぶ広大な区画を取得。

●2015年完成を照準に、衝突実験設備や風洞実験設備の他、最新のテストコースを備えた自社R&Dセンターを設置する計画を発表した。 
スズキはこのインドの地を、自動車開発のハブに見立てて世界展開を視野に入れた小型車造りの基地開発を目指し始めたのである。

〜日本は海外からクルマを買う時代に〜

●日産が次期マーチを、アジア発信の国際商品とする計画を打ち出し、その完成車を日本国内に輸出する構えを見せているように、スズキは、インドに於けるマルチ・スズキが持つロータクR&Dセンターをハブに、既に同社の自動車生産拠点であるマネサール、グルガオンを繋ぎ、デリーオートエキスポ開催当日に自動車販売打数トップに躍り出た中国と、伏兵、韓国を迎え撃つ。

〜小型車だけじゃないスズキのチカラ〜

●スズキの日本ならびに米国に向けた動きでは、先に日米同時発売で話題を提供したキザシが順調に滑り出している。 

●同車の特徴は、足回りの特性など従来のスズキ車にない欧州車テイストにある。
正直、飾り気の無い装飾等、内外装共にかなり日本車離れしたインターフェイスで、独車や北欧車を志向する向きには歓迎される手堅い造りが売り。また同車へは近々、GMと共同開発したハイブリッドユニットが搭載される見込みでもある。 

〜強固なインド国内のサービス拠点〜

●加えてスズキで興味をそそるのは、戦略上のイコールパートナーとなったVWとの関係だ。 
そもそもVWは、インド国内に満足な自動車インフラのサービスネットワークを持たないから、自動車開発のパートナーとしてのスズキの存在にも増して、おそらく延べ1000拠点に迫るマルチ・スズキのサービス網に魅力を感じているのであろう。

●しかし当のスズキは、インドオートエキスポで、同国の国家プロジェクトを背景に開発された電気自動車「バーサ」を筆頭に、ハイブリッド車「SX4ハイブリッド」や、6人乗り多目的車「コンセプトR3」を発表。 
来る2015年には販売台数で400万規模に倍増すると見られるインド市場に於いては、VWと協調していくというよりも、世界の自動車メーカーを向こうに回して、過酷な生存競争に挑む構えが見える。

〜スズキを追う立場のトヨタ〜

●一方、世界規模でトップシェアを誇るトヨタは、インドの国内シェアは僅か2.3パーセントしかない。
トヨタは、デリーオートエキスポで、アジア圏での部品調達率を半分を大きく超えるまでに引き上げた1500ccセダンと、1200ccハッチバック車「エティオス」と共に、2010年の発売を決めた「プリウス」を繰り出し、インド国内の自動車販売実績倍増を目指している。

●またホンダは、フィットのプラットフォームを設計思想の基礎に据え、製造コストの大幅削減を達成した1000ccクラスのコンパクトカーをぶつけていく構えだ。 
対するスズキは、ドイツ約2割増、フランス約5割増と、一部のマーケットでは依然、好調さを見せる欧州対策車としてのAスターや、リッツ(スプラッシュ)を相次いでリリース。日本国内でのライバルメーカー各社は、ここインド市場でも手強いライバルとして、疾走するスズキのシェア5割の切り崩しを狙う。

〜見えてきた自由貿易圏の夢〜
 
●ちなみに今後、アジア域内は、インドと東南アジア諸国連合(ASEAN)の自由貿易協定(FTA)の他、インドと韓国の経済連携協定(EPA)も発効、日本もASEANとEPAを発効。 中国と韓国は、ASEANとの間で大半の品目の関税を相互撤廃する流れから、このASEANを軸にした約32億人という巨大市場が「自由貿易圏」という大きな夢に向かっていよいよ動き始める。

●目下、現時点で世界シェアトップのトヨタは、ダイハツ工業・日野自動車を除く2010年の世界生産計画において、2009年実績見込み比109万台増の749万台(北米2009比30万台増の156万台。欧州同5万台増の57万台。中国同18万台増の79万台、中国を除くアジアは同13万台増の95万台)を目指しているが、中期・長期的視野から見ると、ASEANを軸とした域内は、貿易・投資競争に大きな弾みがつく。従って中国自動車メーカーの躍進は確実である。日本の自動車メーカーのアジア戦略にも大きな影響を与えていくだろう。
 
〜コンパクトカーメーカーが消えていく〜 

●そうしたなか日本国内ではスポーツ車メーカーでありながらも、コンパクトカーメーカーの一社でもあったスバルの動きを眺めると一抹の寂しさがつきまとう。

●それは資本関係のあるトヨタとの強固な連携体制の結果、とは言え、折角、三菱自動車と並んで2009年に量産EVのプラグインステラを世に問い、この2010年には200台のEV販売を計画しているにもかかわらず、ステラ自体の生産が2011年6月まで。さらにすべての軽自動車の生産が2012年3月を以て完全に潰えてしまうからだ。

〜日本の小さなクルマが世界を牽引する〜

●日本の軽自動車は、鎖国的とも言える限定市場のなかでの極めてドメスティックなセグメントでしかないのだが、開発思想やコスト削減手法、またクルマ造りの考え方では、今後、「現行の小型車よりは若干下を目指す」とする世界戦略車の礎になりえるものと思う。

●ただもはや日本国内市場に於いても、660ccという現在の軽自動車の排気量区分は、決して最適とは言えないから、この際、EV搭載も含めた出力別による税法優遇措置を導入するなど、まったく新しい視点を携えて、世界市場でも勝負することのできる新しいコンパクトカーの姿を追求して欲しいものと、業界の書き手としてだけではなく、いち自動車ファンのひとりとしても、一重に願うばかりだ。
〜消えゆく名門自動車ブランドたち〜 

●ゼネラル・モーターズは、既に昨日となった1月4日を期限に、サターンとポンティアックの在庫一掃セールを行った。 具体的には全米各地のカーディーラーが、7000ドルのインセンティブと引き替えに新車のサターンやポンティアックを購入。こうしてクルマ販売の流通網に乗った各車両は、エンドユーザーへ、いわゆる新古車として販売される仕組みとなる。 

●2009年度末時点で、サターンならびにポンティアックの新車在庫は2万台を大きく割り込んでいるが、これにより、全米におけるサターンとポンティアック全車が一掃され、以降、新車としてのサターンとポンティアックは存在しなくなる。

〜自動車王座の分岐点となったクルマ〜

●サターンとポンティアックは初登場時に、双方共まさに一世を風靡した自動車ブランドだった。 サターンは、現役自動車ユーザーの記憶に新しいと思うが、1980〜90年代に日本車を筆頭とする外国車に対して劣勢だった同社が、それらに真っ向勝負を挑むべく造られた。 

●その車名はアポロ計画支えた有人月ロケット名を冠したもので、この単一ブランド車のためにゼネラル・モーターズは、テネシー州スプリングヒルに鋳造・ボディプレス・組立・塗装のすべてを網羅した10キロ平方メートルにも及ぶ広大な生産工場を建設した。

〜クルマ造りの国際標準が激変した〜

●本来、ゼネラル・モーターズのクルマ造りは、エンジンやトランスミッション、ボディ等の個々部位や構成パーツを、異なる離れた全米各地域で製造。最終的にすべてを一拠点に集約して組み立てる格好が常であったので、サターンのクルマ造りのスタイルは、米国のみならず世界の自動車業界に驚きを与えた。 

●工場内も空調が完備、職場環境としても経営側と労働側の垣根を低めた米国内の自動車工場の体裁として極めて異例のもの。おまけにクルマの販売スタイルも、サターンという単一ブランドのみを販売する店舗網を新構築。このスタイルは日本国内でも踏襲されていた。 

〜100年前に記念すべき第一歩を記す〜
 
●一方、サターンに比べ、ポンティアックの歴史は、それよりも遙かに旧く、時代の流れを1925年にまで遡らなければならない。 1920年代頃は、低価格を売りとしていたT型フォードが、永らく販売2位につけるシボレーを大きくリードしていた時代で、馬車製造を源流に流麗なスタイルを競ったコーチビルダーが「他とは違うクルマを求める層」から熱い期待を受け、持てる技術の粋を競った時代でもあった。

●また当時は、自動車が一般市民に広く受け入れられ、低価格車市場が爆発的に活性化、そんな時節の要請を受け、T型より華やかな後継車としてモデルAが1927年に登場したり、クライスラーからは、メイフラワーの到着港にあやかったプリマスが登場(1928年)した時期でもある。

〜ゼネラル・モーターズを支え続けたブランド〜

●既にゼネラル・モーターズでは、創業者のビリー・デュラントが、同社を二度にわたって追われた直後で、500ドル余りで売り出していたシボレー・ロードスターと約900ドルで販売されていたオールズモビルの間を埋める中間車種として当時の社長、アルフレッド・スローンが命じて造られた。

●ポンティアックという名前は、同車開発の拠点であるミシガン州ポンティアックにあやかったもの、さらに遡るとその名前はネイティブアメリカンの酋長がその祖となる。 以降、ポンティアックは、21世紀を迎えるまで永らく、ゼネラル・モーターズの自動車販売台数で車両ブランドとして上位をつけていたが、その名も2010年を迎えた当月、新車販売のブランドとして消失した。

〜再び迎えた量産自動車の黎明期〜

●考えてみれば1920年代という時代は、そうしたガソリン自動車と共に、スタンレーからは蒸気エンジンを搭載したドーブルという名のクルマもごく普通の一般車として街を疾走していた。 当時、多彩な動力源を持つクルマがあった、いわば「量産自動車の黎明期」にあって、ガソリンエンジンを搭載しない蒸気による動力源を持つクルマが、アメリカの街を走った最後の時代でもあるのだ。 

●それから90年を経た今日。自動車の代わりとなる特筆すべき公共交通機関も持たず、かつある意味、不自由なほどの広い国土を持つ米国に於いても、同国民はようやく自然と共生して生きていくことを学び始めている。ゼネラル・モーターズとクライスラーが破綻し、米国の交通社会を支えた名車が消えていくことは、この米国で100年間続いた自動車パッケージの終わりを象徴しているようだ。

〜トヨタのハイブリッド戦略に生じた迷い〜
 
●翻って日本では、2代目プリウスを仮想敵としたインサイトが2月に登場、以降10ヶ月で8万1316台を販売(米国は1万8933台)。5月から販売された3代目プリウスは、2009年11月までで18万6300台を売り上げた。

●そして迎えた2010年。ホンダはシビック・アコードと2種のハイブリッド車を投入予定。日産もフーガハイブリッドの投入が目前だ。 迎えるトヨタは総勢14のハイブリッド車を持つが、さらに3列シートを備えたミニバン系、小型車ベースのハイブリッド車を追加投入を計画している。ただ先行しているトヨタは、2期連続営業損益の赤字を食い止める命題を抱えていることを含め、心の内には十八番のハイブリッド車戦略に迷いが生まれている。 

●インフラ面では、日本ユニシスが青森県で行う通信ネットワークを組み合わせた充電インフラシステム。既に2008年にオープンしている越谷市・越谷レイクタウンの電気自動車向けの急速充電施設など、全国でPVHだけでなくEVや電動バイクもカバーした充電施設の整備が進む。

〜体力を蓄えつつあるトヨタのライバルたち〜
 
●トヨタやホンダを眺めながらも自社の戦略上、一足飛びにハイブリッド車をパスし電気自動車へと走る日産は、2009年暦年で新車販売1300万台と急拡大する中国市場下で、前年比約20%増の70万台と大きく伸び悩むトヨタを尻目に、前年比約28%増の90万5000台の販売見通しを打ち出した。

●本来は2012年の照準として設定していた中国内販売100万の大台も早くも目前、着実に企業体力を蓄積しつつある。そして本年末には、そんな日産から、いよいよ電気自動車リーフが世界市場に向けて投入される計画だ。 

〜選択肢はEVか、HVか、PHVか、それとも...〜
 
●新たな年を迎えて、想いを新たにしなければならないのはその実、毎年のことなのだが、自動車市場では本当に2009年までとは異なる全く新しい時代を迎えようとしている。 公共の交通網のない米国社会では、自動車がなければ、そこで暮らし続けることは国難となるが、日本では都市部を中心にクルマのない生活を始める層も決して珍しくない。 


●そうしたなかで自動車の新たなパッケージを求めた時、その動力源にカーユーザーはどれを選択するのか。化石燃料という安く豊富なエネルギーに支えられた文明が限界にきた21世紀初頭。その選択には、個々ユーザーがひいきにする自動車メーカーの命運以上に、今後の100年へと続く自動車社会構築のための1年目という重みが含まれている。

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