HOMEサイトマップ

マイトガイ「S」の自動車特選街: 2007年9月アーカイブ

2007年9月アーカイブ

〜アルファロメオの始まり〜

アルファロメオの誕生は、1900年代初頭(1910年)。当時、欧州の自動車産業界で一定の成功を収めていたフランスのダラック社が、イタリアで自社製品のノックダウン生産を行うためイタリアーナ・ダラック社を設立したことに起因する。

●しかしこの頃の自動車業界は、今で言うところのベンチャー産業であることから、市場環境などの外的要因に大変弱く、当時、欧州経済の低迷で同社の業績が悪化し始めたのを契機に、ミラノ農業銀行の融資を受けた投資家グループがイタリアーナ・ダラック社を買収。社名をロンバルディア自動車製造会社( A.L.F.A. )と改め、再スタートを切ったこと。これがそもそものアルファ社の始まりである。

〜高額車造りに徹するスタンス〜

●この頃のアルファ社は、グランプリレースやミッレ・ミリアへの参戦費用を何とか捻出するために、「一般向けの自動車も製造販売しますよ」という、今日の自動車ビジネスとは遙かに掛け離れたスタンスで、今の自動車業界に於けるフェラーリのような生き方を逸早く実践していた。ゆえに製造されるクルマたちは、いずれもレース活動で培われた技術をフル投入されたいわば「スーパーカー」であって、大変高価な車両だった。

〜欧州自動車業界では上席扱い〜

●その頃のアルファ社は、史上初の世界選手権王座を獲得するなど、「自動車レースはアルファのためのにある」と言って良いほどの華々しい活躍を残している。今は、トリノ市生まれでかつてのライバルだったフイアットの傘下に甘んじているが、レース活動を「自動車産業の社交界」として捉える欧州的な見方で、アルファロメオは、今日、世界の高級車ブランドとして栄華を極めるメルセデスよりも断然格上である。フロントマスクに付くエンブレムの起源も中世の動乱期にまで時代を遡る。

〜十字軍が築いた歴史を背負う〜

●ちなみにアルファのオリジナルエンブレムは、4つの要素がひとつに重なってできている。まず左側は、イスラエルの城壁へ真っ先に十字架を打ち立てた十字軍に因んだミラノ市章の赤十字。

●さらに右側はビスコンティ家の初代当主が十字軍時代に殺したイスラム兵士の盾に付いていた蛇のマークがビスコンティ家の紋章として後世に受け継がれたとも、偉大なる者の化身である龍が飲み込もうとしている異教徒(サラセン人)あるとも言われている。が、いずれにしてもそれらの紋章は、他国の富を略奪した勝者の歴史を物語るものだ。

●1925年には世界チャンピオンになった証として周囲を月桂冠で取り巻き、ALFA−ROMEOとMILANOの文字の間には、イタリアのサボイア王家の紋章である「縄の結び目模様」が組み合わされた。ただその後残念なことに1972年にはMILANOの文字が消滅。1982年以降には、栄光の月桂冠も廃止されるなど、そのでデザインは次第に小変更が加えられ現在に至っている。

〜コンセプトを暖め続けることの大切さ〜

●そんなアルファの歴史のなかで特筆すべきことのひとつは、創業以降ほぼ80年もの間、絶えることなくスパイダー(オープンカー)を作り続けていることだ。現行モデルは、プラットフォームの共有化が史上命題となっている自動車メーカーの常もあって、大型化したクーペモデルの「ブレラ」をベースにピニンファリーナとアルファロメオのデザインセンターが協業して仕上げたものだ。

●一方で、スパイターを開発する上で原点となるコンセプトは、1954年のジュリエッタ・スパイターから生まれ、映画「卒業」で登場した1966年リリースの105系スパイダーを育んだところにルーツがある。

〜時代にあえて迎合しないこと〜

●この105系スパイダーは、各メカニカル部の基本構成を大きく変化させずになんと延べ34年もの間、延々と造り続けられた。これは通常なら「新しいことを是としなければならい」スポーツカーというセグメントから考えると、到底あり得ない超ロングセラー車であることを意味している。

●その基本サイズは4200mmの全長。1630mmの全幅。1290mmの全高。トレッド寸法・前1325mm後1275mm。フロントサスはダブルウイッシュボーン+コイルの独立懸架。リアはアクスル・ハウジングを左右1本づつのトレーニングアームでデフと吊り下げて支える3リンク方式。ステアリング機構はウォーム&ローラー式と、現代の技術水準からするとまさしくクラシックカーそのもの。まるで評価の対象外になってしまう仕様に間違いないのだが、その実、「走り」は今でも結構イケる。

●1967年の1750ベルリーナ登場を契機に生まれたのが1750スパイダー・ベローチェで、118bhpの高出力を誇り、エクステリア的にはサイドマーカー・ランプがホイールアーチ後からフェンダー先端に移動。筆記体のエンブレムの廃止などの数々の小変更が加えられた。1968年には、GT1300と同じエンジンユニットを搭載した1290ccモデルが加えられ、結局同シリーズ1は1600モデルが5325台。1750モデルが8722台。1300モデルは7237台が生産されている。

〜シンプルさが走りの明快さを生む〜

●登場3年目を迎えたスパイダーは、テールデザインの末端をスッバリ切り落としたコーダ・トロンカ・ボディに変貌。搭載エンジンも1750と1300の2タイプに絞り込まれた。デザインはグリルの横格子が5本から3本に減少。バンパーの大型化。ワイパーの並行作動化。埋め込み式ドアノブとヘッドライトカバー(ただし1750のみ)追加。内装ではコンソールボックスが追加されるなど、相変わらずシンプルな構造だが小さな改良点は多方面に亘っていた。

●1971年には1750モデルが2000ccユニットタイブにバトンタッチ。しかし実のところこのジュリエッタSS発展型のダブルチョークウェーバー搭載モデル(69年まで)がシリーズ中、最も走行性能が高い。1972年には1600ccユニット搭載の1600ジュニアが再登場したが、内外装は1300モデルと共通。結局、2000モデルは38379台が生産され1600は4848台が造られている。

●いずれもエンジンブロックはアルミ合金鋳物で、1954年当時から脈々とダブルオーバーヘッドを使っているというのは、当時としては十二分に革新的なもの。当初1300ccからスタートしたエンジンブロック内部は、4気筒の鉄製ライナーが一体になっているタイプである。

〜新しさがウケるとは限らない〜
●さらにスパイターは1982年に3度目のマイナーチェンジを受けた。基本スタイリングに大きな変更はなかったが、フロントエアダムにリアスポイラーを装備。さらに前後の大型樹脂製大型バンパーが組み込まれ、伝統のフロントグリルはバンパーへの組み込み型に変わった。

●ヘッドランプは前進してライトカバーは廃止。サイド・マーカー・ランプが再びホイールアーチ後に移動。通称「アエロディナミコ」と呼ばれ、素人に媚びを売るような樹脂製エアロパーツが付いているなど、アチコチの改良点は大多数のエンスージアストには嫌われたが、クルマとしてのデキは決して悪くない。ただしこの頃のモデルはインポーターの都合もあって平行輸入車が主流であった。

●エンジンは2000と1600の2種。欧州向けの2000はキャブ仕様の128bhp。対して米国向けはインジェクションの115bhpで、日本に入ってきたのは殆どが米国仕様ばかり。外観的違いは欧州型が鉄ホイール。日本専用車は星形アルミが付く。このシリーズ3は2000が31808台。1600が5400台を販売。ちなみにUS仕様のインジェクションモデルをキャブに換装はできない。

●また1986年には大沢商会が大量のクワドリフォリオ・ヴェルテを輸入した。これは従来型の高性能バージョンという位置付けとは離れ、実のところ既存車の豪華版という感じが強く、最終型と同じアルミホイールにリッチな皮内装。追加されたサイドスカートで迫力は増した。ただ樹脂製のハードトップは実用的かつメーターフードが大きく拡大。中央にはベンチレーターとアウトレットが追加されていた。ステアリングホイールのグリップが太いのが特徴の同仕様は2951台の登録だ。

●1990年にはビニンファリーナで修正を加えステアリングにバワーアシストが付いた「シリーズ4」が登場している。欧州向けにはキャブ仕様の1600ccモデルもあり、米国向けはボッシュ・モトロニックML4,1インジェクションにキャタライザー付き。生産台数は2000で18456台。1600は2951台だ。

〜買う価値を伝えることの巧みさを学ぶ〜

●現行ひとつ前のモデルで、駆動形式が大きく変わったFFスパイダーは、155シリーズと同じくフィアット車との共通コンポーネンツ「Tipoシャーシ」を流用。それでも4輪ストラットにサブフレームを追加するなどアルファの技術者は踏ん張りを見せ、追加されたマルチリンク・リア・サスペンションはトー調整を積極的に行うことで低中速域でのニュートラルステアを実現。さらにファイナルオーバステアの特性も狙うというアルファらしい発想が盛り込まれている。

●現行車もフロント・リア・シートの刺繍・メーターパネル・ステアリング・ペダルに至るまで、伝統のエンブレムを配置するなど、徹底した雰囲気チューンが施されている。けれども「街中のとり回しには難渋」したり、「掃除をしていたらネジが1本足りないことを発見」する、「雨天走行後にドアを開けたら雨粒がポツリと落ちてくる」などイタ車特有のノリは未だに生きている。しかしドイツ車のような凡庸なクルマに飽きた層には良い刺激になるし、アルファロメオはクルマに乗ることが、決して実用目的だけでないことを教えてくれる。

●消費者がモノを買う時、そこに求められるユーザーの欲求の満たし方には様々なスタイルがある。それは「機能的な価値」か「情緒的な価値」か。「クルマに乗ることと、アルファに乗ることは違う」と主張しているように思える同社の姿勢。そこにはクルマを使うことで得られる価値が何なのか。それが造り手側の主張として製品に込められているのだろう。

〜好景気でもクルマは買わない・売れない時代〜

●2007年の日本経済は企業収益を中核に大変な好景気であると言われている。けれども自動車業界において、新車販売台数の低迷は依然下げ止まる気配を見せない。それは自動車マーケットにまつわる関連の数値データを細かく紐解いていくと明白だ。

●例えば自販連発表の月間登録車(除・軽自動車)は24ヶ月連続の減少。上半期台数(1〜6月)での累積数値も178万8,440台と、その成績は1977年上期(174万2,109台)以来、実に30年ぶりの低レベルにある。さらにバブル崩壊以降に若干名の波乱はあったものの、永らく地方都市を舞台に辛うじて好調を維持してきた軽自動車市場も、実に4年ぶりの減少傾向へと、その舵をゆっくりと切り始めている。

〜感動体験を与えられないカーマーケットのジレンマ〜

●実際、人類の経済水準が永遠に上昇していくという発想はすでに20世紀で幕が降りた。もはやそれは幸福な資本主義理論で組み立てた砂の城でしかなく、そもそも資本主義の真理を考えれば、自動車登録台数が未来永劫、常に加算されていくとは筆者も考えていない。

●ただ自動車マーケットの低迷は、環境問題や交通政策の悪化に加え、過去に幾つもの大きなエクスペリエンスを提供してきた自動車マーケットそのものが行き詰まりを見せ始めている証拠ではないかと思えてならない。

〜クルマを通して新しいライフスタイルを打ち立てるべき〜

●このエクスペリエンスとは「新たな感動」や「体験」という概念だ。例えば、今やカーオーディオの世界をも駆逐していく勢いのApple社のipodは、かつてソニーが提案した「音楽を屋外に持ち出す」という考え方に「ポッドキャスティグ」という新たな体験をさらに付け加えることで、人々がそれまで図らずも妥協を重ねてきたものを打ち破る音楽スタイルを打ち立て、既存の社会環境を大きく変革させた。

〜クルマそのものが使えない、愉しめない妥協の産物に〜

●しかし今の自動車環境は、それらとまったく逆行している。つまりこれまでは人々が妥協してきたものをことごとく打ち破り続け、「移動することの自由を得る素晴らしさを提供し続けてきた自動車」が、今は逆に「使えない理由」を指折り数えられる存在になってしまい、「移動の自由は自動車で得なくてもイイ」と、むしろ妥協の産物化してしまう時代に入ってきているように見えるのである。

〜延々と冷え込み続ける個人需要を打破せよ〜

●その根拠のひとつとしてクルマに対する個人需要が一向に改善されないことがある。今日の経済社会の「需要動向」を、より小さなグループ単位で細分化していくと、最後は個々の家計消費に行き着く。そしてそうした家計消費における動機付けにおいて妥協の産物化という位置づけは、自動車を買うことへのマインドの低迷につながる。

●それが結果、クルマに対する購入機会が延々と後回しになっている原因ではないか。こうした考えには他にも多様なファクターがあるとは思うが、自動車を手に入れるための複雑な手順も、そうした「妥協すること」への段階への一要因になるのだろう。

〜日本独自の市場性・課題を克服することへと動け〜

●というのは、海の向こうの米国で消費者が購入したいと思うクルマがある場合、思い立った当日にディーラーの展示場から乗って帰ることが可能だからだ。

●一方、日本のディーラーでは、店頭で例え「そのクルマを欲しい」と思っても、希望のクルマが届けられるのは、実発注後に遠く離れた地方の生産工場で組み立てられた後の数週間・数ヶ月後の話になってしまう。さらにナンバー取得までの面倒な手続きルートも踏まないと、お目当てのクルマの入手は絶対に不可能な環境である。

〜クルマ好きを冷めさせない配慮が今の環境にあるか?〜

●つまるところ自動車を買い入れる際、日本の消費者の購入マインドは、どうしても冷え込み気味になる訳だ。ただ自動車購入ルートの障壁を改革・削減していくことは、政府による管理体制の徹底がマストな日本社会において、解消不可能だろう。
ならば別の解決策を見つけなければならない。

●その突破口のひとつが、消費者を冷めさせないための個々のクルマのブランド化である。例え高級車とは謳っていても結局は、不特定多数へ向けた極めてsocialな販売スタイルを取る日本国内市場における「トヨタ・レクサス」もこれにあたる。

〜メーカーとのダイレクト化で自動車ディーラーは蚊帳の外へ〜

●そうした自動車商品のブランド化というのは、いわば消費マーケット上で商品情報をメーカーが主導してコントロールすることにより、「買い手側の口コミ」を醸成していくことである。これがクルマの品質保証になり、ひいてはこの付加価値が、熱しやすくて冷めてやすい消費者の購買リスクを解消する役割も担う。

●今後、ハードディスクレコーダーの普及などハードウェア面の技術革新に加え、ソフト側でも情報伝達手段の多様化により、テレビコマーシャルの訴求力が大きく低下するだろうから、商品性を伝える伝道師役としてリアル店舗の存在価値はある程度必要にはなる。

●しかし一方で個々のクルマのブランド化が充分に確立し、インターネットを介したBTO体制が完備してしまえば、現在の自動車ディーラー数は縮小しなければならず、求められる役割も大きく様変わりするだろう。

〜過酷になる自動車ディーラーの存在価値と役割〜

BTO販売による消費者とメーカーとのダイレクト化で、これまでメーカーからの車両ブランドの割り当ての沿って、地道な販売計画を立てていけば、今日までメーカーによる車種割り当てを介して成り立っていたディーラー網が崩れ、どの車種を取り扱っても良い戦国時代を迎える。このためトヨタ日産ホンダを筆頭に、各傘下ディーラーは近隣店舗との生き残り競争の矢面に立たされることになるのだ。

〜自動車ディーラーが消滅する日〜

●思えばかつて自動車メーカー間による資本統合で、「400万台クラブを目指した生き残り競争が始まった」と報道されたことがあった。しかし実際にはそうした生存競争は想定していたほど激しいものでなく、むしろ統合を廃止する動きも一部にみられるほど。

●むしろ今後は、クルマの買い替えサイクルの長期化により代替期間の延長分だけ耐久性の高い上級車移行の可能性が出ていることから、軽自動車トップに君臨し続けてきた王者スズキが軽自動車マーケットからの拡大を求めて普通自動車市場へ本格進出を果たすなど、自動車マーケットの優勝劣敗のシナリオはこれからが本当の過当競争に突入する。

●もともとメーカー系の正規自動車ディーラーといっても、基は地域の資産家による独立経営が本質だ。かねてより語られてきた自動車メーカーの生き残りの行方はもとより、むしろあなたの身近にある馴染みのディーラーが突然消失する事態もあながち噂レベルでは終わりそうでない勢いである。

このアーカイブについて

このページには、2007年9月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2007年8月です。

次のアーカイブは2007年10月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。