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自動車帝国GMの源流(ビュイック編) - マイトガイ「S」の自動車特選街

自動車帝国GMの源流(ビュイック編)

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●GMの「キャディラック」や「シボレー」は単なる車名ではなく、ブランド戦略下で独自の経営責任を負い、一方で総本社のGMは経営の策定と管理を担う。つまりそれぞれのブランドはディビジョンとして自主経営を求められる立場にある。そもそもGMはトヨタのような一枚岩ではなく多数のメーカーが統合することで帝国を築いている。それだけにブランド個性は強く、米国ではそのルーツに共感する熱烈なファンが存在している。

●そんな環境下で「ビュイック」は、GMグループ中最古のブランドとしてよく知られており、元来はスコットランド生まれの「ディビッド・ダンパー・ビュイック」が興したカーメーカーがルーツである。
このディビッド・ダンパー・ビュイックなる人物は、1980年代終盤から1900年初頭にかけて配管業を生業としていた実業家で、すでに自動車メーカーを興す前の段階でエナメル塗膜の技術開発で大金を手にしていた。

●しかし自動車好きのビュイックは蓄えた財産を元手に1902年、ミシガン州で「ビュイック・マニファクチャリング・カンパニー」を創設。翌1903年には、バルブをシリンダーヘッド内に納めるという当時としては、画期的なエンジンを搭載した新型車の生産を開始している。

●まさに米国自動車産業創生期といえるこの時代。ビュイックの活動をつぶさに見ていた人物がひとり存在していた。それがビュイックと同州人であり、GMの創始者でもあるビリー・デュラントその人である。

●ビュイックの先進性に惚れ込んだデュラントは、なんとかこの企業を手にしたいと考えるようになり、翌年の1904年、ビュイックに対して果敢な株式介入を開始したのである。そしてこれによってデュラントは、ビュイック・マニファクチャリング・カンパニーの経営権を完全掌握してしまう。

●これに対して純粋なエンジニアタイプであったビュイックは、デュラントの社内工作もあってか1908年、デュラントから10万ドルを受け取るかわりに自身が創設したビュイック社から離脱することとなってしまった。

●離脱した後のビュイックは、持ち前の独自技術を背景にキャブレター製造を手掛けたり、ディビッド・ダンパー・ビュイック・コーポレイションという新会社を組織したりと精力的に活動したものの、結局、ロードスターモデルを1台造っただけで廃業。さらに晩年になってからはデトロイト商業学校の教職に就くなど、文字通り波乱の人生を送った末に1929年に他界している。

●一方ビュイックの自動車造りの思想は、彼がビュイック社を去った後も受け継がれ、次々と生み出された新型車は現在のGM躍進の原動力になった。特にGM成長の初期には同社を代表する看板ブランドとして絶大な役割を果たし、いまでも次々と新技術が投入される先進性と、流麗なボディスタイリングを売り物にGMグループではキャデラックに次ぐ上級ブランドへと育っている。

●現在のブランドイメージは、リッチなラグジュアリークーペやセダンの代名詞となっており、保守的なカーユーザー層をターゲットに販売実績を積み上げている。ラインナップ自体はシリーズ90、パークアベニュー、スカイホーク、リビエラ、ロードマスターなど豊富。トヨタで言えば主流セグメントはプログレあたりをイメージさせるものとなっている。

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このページは、kenjiが2005年7月27日 13:41に書いたブログ記事です。

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